- No
- 275
- Date
- 2016.06.25 Sat
パールハーバー(ミズーリ記念館)
オアフ島に来たらとりあえずここには行きたいと夫が言うので、ホノルルから10キロほど西にあるパールハーバーに向かいました。
市バス(ザ・バス)でも行けますが、ワイキキトロリーのチケットがあればパープルラインで行くのが簡単です。
ということで、前日の夜にやっつけ程度の下調べをし、免税店のトロリー乗り場から朝9:40発のパープルラインに乗車。
週末を外した割には意外と乗る人が多くて驚きました。
乗客の多くはアメリカ人と思しき観光客で、途中の停留所からは立ち乗りも。

ワイキキトロリーの全ラインが停車するデューク・カハナモク像前。
何度通りかかっても、なぜかそのたびに写真を撮ってしまいます(笑)
この後、ダウンタウンのアロハタワー前を経由して、パールハーバーへ。

パールハーバーまではワイキキから1時間ほど。
トロリーは市バスの停留所に停まります。
そこから大通りを渡るとすぐ、パールハーバーのヒストリックサイトです。
駐車場を越えて少し歩いたところに正面入口がありました。

ヒストリックサイトには、アリゾナ記念館、ボウフィン潜水艦博物館、戦艦ミズーリ記念館、太平洋航空博物館の4つの見学場所があります。
チケットはすべてビジターセンターのチケットブースで販売しています。

ビジターセンターの入口。
ゲートを通過する際、係員の手荷物チェックを受けました。
昨晩少し調べたら、カメラや貴重品を除きバッグ類は持ち込み禁止とのこと。
できるだけ荷物を少なくしてバゲージ・ストレージに預けるつもりでしたが、意外にも私たちの手荷物は持ち込みOKの判定。
チケットブースでミズーリ記念館のチケットを買い、お姉さんに「このバッグ持ち込んでもいいの?」と聞いたら「チェック受けたなら大丈夫」と言うので、そのまま指示された場所でグリーンのシャトルバスに乗り込みました。
団体客は皆さんほぼ手ぶらだったので、なんだかちょっと気まずい(笑)
バスでの移動中は米軍関連敷地内のため撮影は禁止です。
バス内ではパールハーバーの歴史などについて英語のアナウンス。
続いて日本語の説明もありましたが、ごく短い注意事項のみでした。

湾内に架かる橋を通ってフォード島に渡り、ミズーリ記念館前でシャトルバスを下車。
星条旗がはためく通路を通って大きな戦艦の乗船口に歩いていきます。
まわりにはフードトラックや売店などが並んでいました。

ブリッジからミズーリに乗り込む際、湾内の少し離れたところにアリゾナ記念館が見えました。
真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナ号は戦争の始まり、降伏文書の調印式が行われた戦艦ミズーリ号は平和の始まりとして、対をなすシンボルになっているそうです。
乗船口では日本語ツアーを頼むか聞かれましたが、パンフレットだけもらってそのまま通過しました。
アメリカ人のほとんどはガイド付きツアーに参加しているようでした。

艦首にあるアンテナは、通称クリスマスツリー。
甲板は日当たりがよく、風はあるもののけっこう暑いです。

主砲の周囲ではアメリカ人ツアー客がガイドの説明に聞き入っていました。
日本人の姿も、少ないけれどたまに見かけます。

降伏文書調印式が行われた右舷デッキ。

調印文書のレプリカが展示されています。

右舷の艦尾近くには特攻機の衝突跡も。
近くのパネルには、祖国のために散った若者を手厚く葬った旨の説明がありました。

メインデッキから梯子のような階段を降りて、内部(セカンドデッキ)に入ることもできます。

中には食堂や厨房、居住スペースなど。

ここはチーフ・ペティ・オフィサー(上等兵曹)用の食堂。
階級によって居住区がきっちりと分けられています。
壁の戸棚には名前入りのマグカップがずらりと並んでいました。

直訳すると野菜準備室でしょうか。
ちょっとかわいい(笑)

パソコンやデスクが置かれた執務室。

艦内には厨房が何箇所もあり、各区画にはパンやパイのレプリカがこれでもかと並んでいたりします。
ここは通路の奥の方だったので、手前の壁に「ドーナツファクトリーを見逃すな!」との注意書きがありました(笑)

個室をもらえない水兵さんたちの寝台は、やっぱり窮屈そうです。

中は広く迷路のようでドアがたくさん。
こんなに仕切りだらけだと、緊急招集がかかった時につまづく人が続出しないのかと余計な心配をしてみたり。

本格的な郵便局もあります。
中には仕分けされた郵便物が並んでいました。

ようやく一周した広い船内から急な階段を上って甲板に戻り、さらに階段で上へ上へ。

晴れた日にはここで艦長が指揮を執ることもあるという露天艦橋。
とても眺めがいいです。
その下の階には操舵室や通信司令室もありました。

ひと通り回って甲板に下りてくると、あんなに混んでいたとは思えないほど人がいなくなっていました。

誰もいないにもほどがある(笑)
お昼を少し回った時刻だったので、ツアーの人たちはみんなランチにでも行ったのかな?と話しつつ艦を降りました。

埠頭の艦首側から見たミズーリ号全景。
第二次大戦後も長く現役として各地に派遣され、1999年から記念館として公開されているそうです。

思った以上に興味深く見所の多いミズーリ記念館でした。
またシャトルバスに乗って、航空博物館を経由しビジターセンターへ戻ります。

ビジターセンターの奥にあるボウフィン潜水艦博物館。
ここは無料で見学できるようですが、帰りのトロリーの時間があったので外側だけ眺めてきました。
トロリーのパープルラインは、60~90分おきにしか来ないところがちょっと不便です。

もっといかめしい感じの場所かと想像していましたが、敷地内は市民の憩いの広場のような雰囲気です。

ただ、アリゾナの碇のモニュメントには、ここで起こったことを決して忘れないという言葉が刻まれていました。

アメリカ人、日本人、それぞれの思いや立場はあると思います。
でも、戦争はしたくないという願いが共有できるならば、過去の悲惨な出来事を忘れないことと、手を携えてより良い未来に向かうことは、矛盾しないと信じたいです。

夫は最初からミズーリだけでいいと言っていましたが、何となくもう少し見たそうでした。
星条旗がはためく青い空。

市バスのバス停は予想通りまあまあの混み具合でした。
パープルラインは(意外にも)ほぼ時間通りにやってきて、なんとか席を確保。
その後、ワイキキまでの帰り道は、ミズーリでの階段上り下りが効いてか二人とも爆睡でした。
市バス(ザ・バス)でも行けますが、ワイキキトロリーのチケットがあればパープルラインで行くのが簡単です。
ということで、前日の夜にやっつけ程度の下調べをし、免税店のトロリー乗り場から朝9:40発のパープルラインに乗車。
週末を外した割には意外と乗る人が多くて驚きました。
乗客の多くはアメリカ人と思しき観光客で、途中の停留所からは立ち乗りも。

ワイキキトロリーの全ラインが停車するデューク・カハナモク像前。
何度通りかかっても、なぜかそのたびに写真を撮ってしまいます(笑)
この後、ダウンタウンのアロハタワー前を経由して、パールハーバーへ。

パールハーバーまではワイキキから1時間ほど。
トロリーは市バスの停留所に停まります。
そこから大通りを渡るとすぐ、パールハーバーのヒストリックサイトです。
駐車場を越えて少し歩いたところに正面入口がありました。

ヒストリックサイトには、アリゾナ記念館、ボウフィン潜水艦博物館、戦艦ミズーリ記念館、太平洋航空博物館の4つの見学場所があります。
チケットはすべてビジターセンターのチケットブースで販売しています。

ビジターセンターの入口。
ゲートを通過する際、係員の手荷物チェックを受けました。
昨晩少し調べたら、カメラや貴重品を除きバッグ類は持ち込み禁止とのこと。
できるだけ荷物を少なくしてバゲージ・ストレージに預けるつもりでしたが、意外にも私たちの手荷物は持ち込みOKの判定。
チケットブースでミズーリ記念館のチケットを買い、お姉さんに「このバッグ持ち込んでもいいの?」と聞いたら「チェック受けたなら大丈夫」と言うので、そのまま指示された場所でグリーンのシャトルバスに乗り込みました。
団体客は皆さんほぼ手ぶらだったので、なんだかちょっと気まずい(笑)
バスでの移動中は米軍関連敷地内のため撮影は禁止です。
バス内ではパールハーバーの歴史などについて英語のアナウンス。
続いて日本語の説明もありましたが、ごく短い注意事項のみでした。

湾内に架かる橋を通ってフォード島に渡り、ミズーリ記念館前でシャトルバスを下車。
星条旗がはためく通路を通って大きな戦艦の乗船口に歩いていきます。
まわりにはフードトラックや売店などが並んでいました。

ブリッジからミズーリに乗り込む際、湾内の少し離れたところにアリゾナ記念館が見えました。
真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナ号は戦争の始まり、降伏文書の調印式が行われた戦艦ミズーリ号は平和の始まりとして、対をなすシンボルになっているそうです。
乗船口では日本語ツアーを頼むか聞かれましたが、パンフレットだけもらってそのまま通過しました。
アメリカ人のほとんどはガイド付きツアーに参加しているようでした。

艦首にあるアンテナは、通称クリスマスツリー。
甲板は日当たりがよく、風はあるもののけっこう暑いです。

主砲の周囲ではアメリカ人ツアー客がガイドの説明に聞き入っていました。
日本人の姿も、少ないけれどたまに見かけます。

降伏文書調印式が行われた右舷デッキ。

調印文書のレプリカが展示されています。

右舷の艦尾近くには特攻機の衝突跡も。
近くのパネルには、祖国のために散った若者を手厚く葬った旨の説明がありました。

メインデッキから梯子のような階段を降りて、内部(セカンドデッキ)に入ることもできます。

中には食堂や厨房、居住スペースなど。

ここはチーフ・ペティ・オフィサー(上等兵曹)用の食堂。
階級によって居住区がきっちりと分けられています。
壁の戸棚には名前入りのマグカップがずらりと並んでいました。

直訳すると野菜準備室でしょうか。
ちょっとかわいい(笑)

パソコンやデスクが置かれた執務室。

艦内には厨房が何箇所もあり、各区画にはパンやパイのレプリカがこれでもかと並んでいたりします。
ここは通路の奥の方だったので、手前の壁に「ドーナツファクトリーを見逃すな!」との注意書きがありました(笑)

個室をもらえない水兵さんたちの寝台は、やっぱり窮屈そうです。

中は広く迷路のようでドアがたくさん。
こんなに仕切りだらけだと、緊急招集がかかった時につまづく人が続出しないのかと余計な心配をしてみたり。

本格的な郵便局もあります。
中には仕分けされた郵便物が並んでいました。

ようやく一周した広い船内から急な階段を上って甲板に戻り、さらに階段で上へ上へ。

晴れた日にはここで艦長が指揮を執ることもあるという露天艦橋。
とても眺めがいいです。
その下の階には操舵室や通信司令室もありました。

ひと通り回って甲板に下りてくると、あんなに混んでいたとは思えないほど人がいなくなっていました。

誰もいないにもほどがある(笑)
お昼を少し回った時刻だったので、ツアーの人たちはみんなランチにでも行ったのかな?と話しつつ艦を降りました。

埠頭の艦首側から見たミズーリ号全景。
第二次大戦後も長く現役として各地に派遣され、1999年から記念館として公開されているそうです。

思った以上に興味深く見所の多いミズーリ記念館でした。
またシャトルバスに乗って、航空博物館を経由しビジターセンターへ戻ります。

ビジターセンターの奥にあるボウフィン潜水艦博物館。
ここは無料で見学できるようですが、帰りのトロリーの時間があったので外側だけ眺めてきました。
トロリーのパープルラインは、60~90分おきにしか来ないところがちょっと不便です。

もっといかめしい感じの場所かと想像していましたが、敷地内は市民の憩いの広場のような雰囲気です。

ただ、アリゾナの碇のモニュメントには、ここで起こったことを決して忘れないという言葉が刻まれていました。

アメリカ人、日本人、それぞれの思いや立場はあると思います。
でも、戦争はしたくないという願いが共有できるならば、過去の悲惨な出来事を忘れないことと、手を携えてより良い未来に向かうことは、矛盾しないと信じたいです。

夫は最初からミズーリだけでいいと言っていましたが、何となくもう少し見たそうでした。
星条旗がはためく青い空。

市バスのバス停は予想通りまあまあの混み具合でした。
パープルラインは(意外にも)ほぼ時間通りにやってきて、なんとか席を確保。
その後、ワイキキまでの帰り道は、ミズーリでの階段上り下りが効いてか二人とも爆睡でした。
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- category:2016.04 ハワイ