category :2013.09 白川郷・高山
- No
- 133
- Date
- 2013.09.08 Sun
白川郷
遅めの夏休み。
車で夫の実家に帰省したついでに、たまには義母を連れて遠出するかと岐阜県飛騨地方に向かいました。
私はまだ行ったことのない白川郷。
夫も義母も、前回訪ねたのはいつかわからないほど昔だそうです。
亡くなった義父がいつも「あそこは遠くて簡単には行けへんでなぁ」と言っていましたが、数年前に東海北陸自動車道が開通し、一宮ジャンクションから2時間かからずに白川郷へ。
ずいぶん近くなったと義母も驚いていました。
のんびり出発して11時前に到着したら、中心部にあるせせらぎ公園駐車場が満車。
少し離れたみだしま公園臨時駐車場に誘導されました。
週末だし、もう少し早めに出発するべきだったかな。
歩いてもそう遠くない距離だったのでよかったけれど。

合掌造りの集落に足を踏み入れると、水田がまもなく実りの秋を迎える風情。

明善寺の隣の庫裡(お寺の住職や家族が住まう家)では、屋根の葺き替え作業をしていました。
見学可能な文化財にも、実際に人が暮らしているのがすごいです。

水路の水がとてもきれいで、大きな魚が何匹も泳いでいます。
家族と一緒にやってきたワンちゃんが、興味津々で覗き込んでいました。

集落には何件か、中に入って見学することのできる家があります。
これは神田家。
どっしりとした趣のある家です。

あちこちにススキの穂が出ています。
山里の秋は早いなぁ。

水田の脇を流れる水路、その向こうには民家や蔵。
義母が、子供の頃に訪ねたおばあさんの家がこんな感じやったわ、と懐かしんでいました。

国の重要文化財に指定されている、和田家。
何と築300年だそうです。
中に入ってみました。

和田家は代々名主や番所役人を勤めた名家です。
黒く磨き上げられた木の床に、これだけ広いのにお掃除が行き届いていて素晴らしいと義母が感嘆。
格式の高そうな客間の横に、立派な仏間。
・・・も素晴らしかったのですが、お仏壇の横の数珠掛けが妙に気に入ってしまいました(笑)

昔の生活の中心だったと思われる囲炉裏端。
入れ代わり立ち代わりの記念撮影スポットになっています。

昔ながらの急な階段を上ると、中二階にはさまざまな大きさの樽が。
「昔は何でも樽で保存しとったで、どこの家にもようけあったもんやよ。」
「衣装なんかも長持っていう大きな箱に入れてな、子供らでよく蔵に入り込んで勝手に開けてみたりしとったわ。」
と、義母の記憶の糸がするすると紡ぎ出されていきます。

さらに上階に上ると、予想以上に広い屋根裏がありました。
釘を1本も使わずに組み上げられた柱に、屋根も乗せてあるだけ。
長年の風雪に耐えてきた重みを感じます。

養蚕や農作業のための道具や、大きなたらいやおひつ。
ざるや背負いかごや、蓑などの防寒具もありました。

二階からの眺め。
こんな自然の中での生活は厳しくも美しいものだろうなと思いをはせてみたり。

工夫と知恵に満ちた合掌造りの家。
居住空間を分けて自宅を公開するなんて大変なことだと思いますが、文化や生活の一端に触れられてとてもよかったです。
義母も「いやぁ感動した!小泉総理やないけど。」って、それはちょっと古いよ(笑)

周りではコスモスの花がもう終わりかけていました。
満開の頃はさぞかしきれいでしょうね。

集落をひと巡りし、中央の通りへ。
ここはお土産屋さんや飲食店がずらりと立ち並んでいます。

ちょっとしたファーストフード的なものもあって、食べ歩きも楽しそうです。

道路沿いの消火栓も何だかいい雰囲気。
てくてく歩いて、遅い昼食におそばを食べ、展望台へのシャトルバスに乗ってみました。

荻町城址展望台は、集落のシャトルバス乗り場から10分ほど、急な山道を登りきったところにあります。
ツアーバスもひっきりなしに発着していて、少しざわざわしていますが、ここからの眺めはとてもきれい。
合掌造りの家は、長く日が当たるように東西に向けて屋根を葺いてあり、南北の壁に窓が付いているので、必然的にどの家もほぼ同じ方角を向くのだそうです。
日没後のライトアップも美しいでしょうね。

山里の短い秋。
稲刈りももうすぐです。

シャトルバスで集落に戻ります。
義母のためにゆっくり歩こうと思いきや、あちこちで写真を撮りまくって逆に義母を待たせる私たち夫婦(笑)
「あんたら二人で3台もカメラ持って、プロみたいやなぁ。写真楽しみやわ。」と笑われました。
のんびりしすぎて、せせらぎ公園のそばにある野外博物館は見られませんでしたが、集落の雰囲気は堪能することができました。

白川郷が世界遺産に登録されてから、観光客の増加で交通渋滞やマナーの問題が起こっているという話も聞きます。
観光資源の活用と景観や文化の保護の両立は難しい課題ですが、日本の宝として大切にしていかなければと思いました。
スタッドレスを持っていない我が家の車では無理ですが、ここはぜひ雪深い冬にも訪ねてみたいです。
白川郷観光協会
http://www.shirakawa-go.gr.jp/
車で夫の実家に帰省したついでに、たまには義母を連れて遠出するかと岐阜県飛騨地方に向かいました。
私はまだ行ったことのない白川郷。
夫も義母も、前回訪ねたのはいつかわからないほど昔だそうです。
亡くなった義父がいつも「あそこは遠くて簡単には行けへんでなぁ」と言っていましたが、数年前に東海北陸自動車道が開通し、一宮ジャンクションから2時間かからずに白川郷へ。
ずいぶん近くなったと義母も驚いていました。
のんびり出発して11時前に到着したら、中心部にあるせせらぎ公園駐車場が満車。
少し離れたみだしま公園臨時駐車場に誘導されました。
週末だし、もう少し早めに出発するべきだったかな。
歩いてもそう遠くない距離だったのでよかったけれど。

合掌造りの集落に足を踏み入れると、水田がまもなく実りの秋を迎える風情。

明善寺の隣の庫裡(お寺の住職や家族が住まう家)では、屋根の葺き替え作業をしていました。
見学可能な文化財にも、実際に人が暮らしているのがすごいです。

水路の水がとてもきれいで、大きな魚が何匹も泳いでいます。
家族と一緒にやってきたワンちゃんが、興味津々で覗き込んでいました。

集落には何件か、中に入って見学することのできる家があります。
これは神田家。
どっしりとした趣のある家です。

あちこちにススキの穂が出ています。
山里の秋は早いなぁ。

水田の脇を流れる水路、その向こうには民家や蔵。
義母が、子供の頃に訪ねたおばあさんの家がこんな感じやったわ、と懐かしんでいました。

国の重要文化財に指定されている、和田家。
何と築300年だそうです。
中に入ってみました。

和田家は代々名主や番所役人を勤めた名家です。
黒く磨き上げられた木の床に、これだけ広いのにお掃除が行き届いていて素晴らしいと義母が感嘆。
格式の高そうな客間の横に、立派な仏間。
・・・も素晴らしかったのですが、お仏壇の横の数珠掛けが妙に気に入ってしまいました(笑)

昔の生活の中心だったと思われる囲炉裏端。
入れ代わり立ち代わりの記念撮影スポットになっています。

昔ながらの急な階段を上ると、中二階にはさまざまな大きさの樽が。
「昔は何でも樽で保存しとったで、どこの家にもようけあったもんやよ。」
「衣装なんかも長持っていう大きな箱に入れてな、子供らでよく蔵に入り込んで勝手に開けてみたりしとったわ。」
と、義母の記憶の糸がするすると紡ぎ出されていきます。

さらに上階に上ると、予想以上に広い屋根裏がありました。
釘を1本も使わずに組み上げられた柱に、屋根も乗せてあるだけ。
長年の風雪に耐えてきた重みを感じます。

養蚕や農作業のための道具や、大きなたらいやおひつ。
ざるや背負いかごや、蓑などの防寒具もありました。

二階からの眺め。
こんな自然の中での生活は厳しくも美しいものだろうなと思いをはせてみたり。

工夫と知恵に満ちた合掌造りの家。
居住空間を分けて自宅を公開するなんて大変なことだと思いますが、文化や生活の一端に触れられてとてもよかったです。
義母も「いやぁ感動した!小泉総理やないけど。」って、それはちょっと古いよ(笑)

周りではコスモスの花がもう終わりかけていました。
満開の頃はさぞかしきれいでしょうね。

集落をひと巡りし、中央の通りへ。
ここはお土産屋さんや飲食店がずらりと立ち並んでいます。

ちょっとしたファーストフード的なものもあって、食べ歩きも楽しそうです。

道路沿いの消火栓も何だかいい雰囲気。
てくてく歩いて、遅い昼食におそばを食べ、展望台へのシャトルバスに乗ってみました。

荻町城址展望台は、集落のシャトルバス乗り場から10分ほど、急な山道を登りきったところにあります。
ツアーバスもひっきりなしに発着していて、少しざわざわしていますが、ここからの眺めはとてもきれい。
合掌造りの家は、長く日が当たるように東西に向けて屋根を葺いてあり、南北の壁に窓が付いているので、必然的にどの家もほぼ同じ方角を向くのだそうです。
日没後のライトアップも美しいでしょうね。

山里の短い秋。
稲刈りももうすぐです。

シャトルバスで集落に戻ります。
義母のためにゆっくり歩こうと思いきや、あちこちで写真を撮りまくって逆に義母を待たせる私たち夫婦(笑)
「あんたら二人で3台もカメラ持って、プロみたいやなぁ。写真楽しみやわ。」と笑われました。
のんびりしすぎて、せせらぎ公園のそばにある野外博物館は見られませんでしたが、集落の雰囲気は堪能することができました。

白川郷が世界遺産に登録されてから、観光客の増加で交通渋滞やマナーの問題が起こっているという話も聞きます。
観光資源の活用と景観や文化の保護の両立は難しい課題ですが、日本の宝として大切にしていかなければと思いました。
スタッドレスを持っていない我が家の車では無理ですが、ここはぜひ雪深い冬にも訪ねてみたいです。
白川郷観光協会
http://www.shirakawa-go.gr.jp/
- No
- 132
- Date
- 2013.09.07 Sat
高山(本陣平野屋 花兆庵)
白川郷と高山を回る1泊旅行、宿泊は本陣平野屋花兆庵です。
義母が一緒なので、なるべく便利な場所がいいと思い選びました。
高山陣屋のすぐ近くで、古い町並みにも歩いて行けるし、駐車場の心配もいりません。
あまり部屋数が多くないところも、個人的にはポイントです。

入口で車を預けて玄関を入ると、畳敷きの上がり口で女将さんが出迎えてくれます。
歓迎の太鼓がどーんと鳴り、ちょっとびっくりしました(笑)

正面には風流な雛飾り。
毎年3月には、ここに100体以上のお雛様がずらりと並ぶそうです。
壮麗な眺めでしょうね。
部屋は5階にある「輝の間」。
10畳の和室にツインベッドルームがついた和洋室です。

和室の壁側。
旅館なのにモダンな造りで素敵やねぇ、びっくりしてまうわと義母(笑)

窓側にはもっちりした座り心地のいい小さなクッション。
座卓は、老舗家具メーカー「飛騨産業」のものだそうです。
大きなテーブルの上はあっという間に散らかってしまったので、お見せできません(笑)

和室の横にはソファコーナーもありました。
このソファも飛騨産業製。
和室ってお行儀よくしていると意外と疲れるので、楽に座れるソファがあるのは嬉しい。

仲居さんがお抹茶とあねさまもちを用意してくれました。
胡桃と胡麻を味噌で和えたものをお餅で包んであって、とても柔らかくおいしかったです。
それをいただきながら、食事の希望時間やお風呂の説明を聞いたり、足袋や歯ブラシを選んだり、売店や姉妹店の優待チケットをもらったり。
浴衣を用意するのでと身長を聞かれた義母が、なぜか「152です。・・・いや、嘘です151です。サバ読みましたわスミマセン。」と答えて一同爆笑。
なぜここでサバを読む。かわいいなぁ。
私も158ですと言おうとしたけれど、実は数ミリ足りないので、義母に倣って157にしておきました(笑)

一息ついて、義母と部屋を探検。
隣の洋室は、奥の壁の向こうがバスルームになっています。
手前の壁には、少し小さいけれどテレビも置いてありました。

洋室の奥から入るようになっている、洗面所。
割と広々としています。
クレンジングなどが揃っているのは嬉しいけれど、使いきりサイズの方がよかったかな。
業務用の詰め替え式ならまだしも普通の個人用サイズだったので、何だか前の人の使い残しみたいに見えるのは今ひとつでした。

シンクは1台。
拡大鏡も付いています。

バスルームは広い洗い場にジャグジー付き。
階下には温泉がありますが、熱いお湯につかるのが苦手な義母は「私はここで十分やわ」と。
「でもこれ外から丸見えやない?」
大丈夫、ブラインド下ろせるからね(笑)
何だかんだで食事の時間。
夕食は部屋食と個室料亭が選べますが、個室ならばと料亭の方にしてみました。

エレベーターを降りると、さっきの仲居さんが待っていて、掘りごたつ式の個室に案内してくれました。

座付と前菜。
手の込んだ料理が並びます。
一緒に出された松茸と鱧の土瓶蒸しもいいお味でした。

高山なのにお造りって意外でしたが、飛騨地方は同じ岐阜県の美濃地方より富山や石川に近く、海のお魚はそちらから来ることが多いとのこと。
白海老という、桜海老より少しだけ大きいくらいの海老のお刺身がとてもおいしかった。
義母によると、白海老は富山の特産品として有名なのだそうです。
白い器に白い海老の身で、写真ではほとんど判別できませんが(笑)

うまみが凝縮したような寒干し大根と、辛子麩の揚げ煮、飛騨小茄子。
辛子麩って初めて食べました。これも福井かどこかの郷土料理のようです。
ほんの少しだけ辛子の風味が効いています。

太刀魚の蓼焼きが秋らしいお皿で出されたあと、飛騨牛の食べ比べ。
イチボ、とも三角、赤身という三種のお肉を、小さな鉄板で焼いていただきます。
おろしポン酢と麹味噌、どちらもよく合いました。

飛騨牛のあとは、冷やしうどん、ご飯とお味噌汁の食事と続きますが、食べきれずに残してしまいました。
夫と義母は完食。参りました(笑)
最後のデザートは、飛騨桃とイチジクのコンポートです。
イチジクは小さい頃そこら中に実がなっていて、よく勝手に取って食ったなぁと夫。

料亭の外の喫煙所で夫が一服している間、私と義母はその周りにある美術品に興味津々。
横長の床の間のようなところにお人形がずらりと並んでいたり、壁に水墨画のような大きな絵が掛けられていたり。

年代物の和箪笥の上には、小さな反物屋さんのドールハウス(伝統的な日本語で何て言うんでしょうね)が置いてありました。
実家の母がこういうの得意だったなぁ。
最近は忙しくてあまり作っていないみたいだけれど。

部屋に戻ると、和室に義母用の布団が整えられていました。
飲んだときの慣例で早々に寝入ってしまった夫を何とか起こして、隣の洋室に移動。
早めにお風呂に入って、おやすみなさい。

夜中に雷が鳴ったりして、相変わらず不安定な天気。
翌朝も雨混じりでした。
窓からは、陣屋前の朝市の様子が見えます。

まだ温泉に行ってなかったので、1階にある大浴場へ。
坪庭を眺めるような横長の浴槽で、ほっと一息。
今回はここだけでしたが、はす向かいの別館のお風呂も利用することができます。

のんびりと身支度を整えて、朝食です。
和食と洋食が選べますが、私たちは3人とも和食。

飛騨といえば、朴葉味噌。
少しぐつぐつ言ってきたら、ネギとさっくり混ぜて、

火から下ろします。

そして、イワナの開きをあぶります。
朴葉味噌はご飯やお粥、手作り豆腐にちょっと乗せて食べるのがおいしかった。
果物がごろごろ入ったゼリーをデザートにいただいて、ごちそうさまでした。
部屋は快適で食事もおいしく、接客がとても丁寧。
館内ではスタッフが名前で呼びかけてくれるのも感じが良かったです。
のんびりできました。
本陣平野屋 花兆庵
http://www.honjinhiranoya.com/
義母が一緒なので、なるべく便利な場所がいいと思い選びました。
高山陣屋のすぐ近くで、古い町並みにも歩いて行けるし、駐車場の心配もいりません。
あまり部屋数が多くないところも、個人的にはポイントです。

入口で車を預けて玄関を入ると、畳敷きの上がり口で女将さんが出迎えてくれます。
歓迎の太鼓がどーんと鳴り、ちょっとびっくりしました(笑)

正面には風流な雛飾り。
毎年3月には、ここに100体以上のお雛様がずらりと並ぶそうです。
壮麗な眺めでしょうね。
部屋は5階にある「輝の間」。
10畳の和室にツインベッドルームがついた和洋室です。

和室の壁側。
旅館なのにモダンな造りで素敵やねぇ、びっくりしてまうわと義母(笑)

窓側にはもっちりした座り心地のいい小さなクッション。
座卓は、老舗家具メーカー「飛騨産業」のものだそうです。
大きなテーブルの上はあっという間に散らかってしまったので、お見せできません(笑)

和室の横にはソファコーナーもありました。
このソファも飛騨産業製。
和室ってお行儀よくしていると意外と疲れるので、楽に座れるソファがあるのは嬉しい。

仲居さんがお抹茶とあねさまもちを用意してくれました。
胡桃と胡麻を味噌で和えたものをお餅で包んであって、とても柔らかくおいしかったです。
それをいただきながら、食事の希望時間やお風呂の説明を聞いたり、足袋や歯ブラシを選んだり、売店や姉妹店の優待チケットをもらったり。
浴衣を用意するのでと身長を聞かれた義母が、なぜか「152です。・・・いや、嘘です151です。サバ読みましたわスミマセン。」と答えて一同爆笑。
なぜここでサバを読む。かわいいなぁ。
私も158ですと言おうとしたけれど、実は数ミリ足りないので、義母に倣って157にしておきました(笑)

一息ついて、義母と部屋を探検。
隣の洋室は、奥の壁の向こうがバスルームになっています。
手前の壁には、少し小さいけれどテレビも置いてありました。

洋室の奥から入るようになっている、洗面所。
割と広々としています。
クレンジングなどが揃っているのは嬉しいけれど、使いきりサイズの方がよかったかな。
業務用の詰め替え式ならまだしも普通の個人用サイズだったので、何だか前の人の使い残しみたいに見えるのは今ひとつでした。

シンクは1台。
拡大鏡も付いています。

バスルームは広い洗い場にジャグジー付き。
階下には温泉がありますが、熱いお湯につかるのが苦手な義母は「私はここで十分やわ」と。
「でもこれ外から丸見えやない?」
大丈夫、ブラインド下ろせるからね(笑)
何だかんだで食事の時間。
夕食は部屋食と個室料亭が選べますが、個室ならばと料亭の方にしてみました。

エレベーターを降りると、さっきの仲居さんが待っていて、掘りごたつ式の個室に案内してくれました。

座付と前菜。
手の込んだ料理が並びます。
一緒に出された松茸と鱧の土瓶蒸しもいいお味でした。

高山なのにお造りって意外でしたが、飛騨地方は同じ岐阜県の美濃地方より富山や石川に近く、海のお魚はそちらから来ることが多いとのこと。
白海老という、桜海老より少しだけ大きいくらいの海老のお刺身がとてもおいしかった。
義母によると、白海老は富山の特産品として有名なのだそうです。
白い器に白い海老の身で、写真ではほとんど判別できませんが(笑)

うまみが凝縮したような寒干し大根と、辛子麩の揚げ煮、飛騨小茄子。
辛子麩って初めて食べました。これも福井かどこかの郷土料理のようです。
ほんの少しだけ辛子の風味が効いています。

太刀魚の蓼焼きが秋らしいお皿で出されたあと、飛騨牛の食べ比べ。
イチボ、とも三角、赤身という三種のお肉を、小さな鉄板で焼いていただきます。
おろしポン酢と麹味噌、どちらもよく合いました。

飛騨牛のあとは、冷やしうどん、ご飯とお味噌汁の食事と続きますが、食べきれずに残してしまいました。
夫と義母は完食。参りました(笑)
最後のデザートは、飛騨桃とイチジクのコンポートです。
イチジクは小さい頃そこら中に実がなっていて、よく勝手に取って食ったなぁと夫。

料亭の外の喫煙所で夫が一服している間、私と義母はその周りにある美術品に興味津々。
横長の床の間のようなところにお人形がずらりと並んでいたり、壁に水墨画のような大きな絵が掛けられていたり。

年代物の和箪笥の上には、小さな反物屋さんのドールハウス(伝統的な日本語で何て言うんでしょうね)が置いてありました。
実家の母がこういうの得意だったなぁ。
最近は忙しくてあまり作っていないみたいだけれど。

部屋に戻ると、和室に義母用の布団が整えられていました。
飲んだときの慣例で早々に寝入ってしまった夫を何とか起こして、隣の洋室に移動。
早めにお風呂に入って、おやすみなさい。

夜中に雷が鳴ったりして、相変わらず不安定な天気。
翌朝も雨混じりでした。
窓からは、陣屋前の朝市の様子が見えます。

まだ温泉に行ってなかったので、1階にある大浴場へ。
坪庭を眺めるような横長の浴槽で、ほっと一息。
今回はここだけでしたが、はす向かいの別館のお風呂も利用することができます。

のんびりと身支度を整えて、朝食です。
和食と洋食が選べますが、私たちは3人とも和食。

飛騨といえば、朴葉味噌。
少しぐつぐつ言ってきたら、ネギとさっくり混ぜて、

火から下ろします。

そして、イワナの開きをあぶります。
朴葉味噌はご飯やお粥、手作り豆腐にちょっと乗せて食べるのがおいしかった。
果物がごろごろ入ったゼリーをデザートにいただいて、ごちそうさまでした。
部屋は快適で食事もおいしく、接客がとても丁寧。
館内ではスタッフが名前で呼びかけてくれるのも感じが良かったです。
のんびりできました。
本陣平野屋 花兆庵
http://www.honjinhiranoya.com/
- No
- 131
- Date
- 2013.09.06 Fri
高山(古い町並みと高山陣屋)
夫と義母と、久しぶりの高山。
今年七回忌を迎えた義父がまだ元気だった頃、連れてきてもらって以来です。
当時はとても遠かった記憶があるけれど、高速道路が開通してずいぶん近くなった気がします。
雨混じりの天気の中、古い町並みを散策してみました。

明治から大正時代の町家が残るさんまちエリア。
飲食店や土産物屋が軒を連ねる中に、酒造店も何軒かあります。
日本酒党の夫はとりあえず全軒制覇。
運転手なので試飲できないのが残念そうでしたが。

町家の中には普通の民家も混じっています。
よく手入れされた軒先の鉢植えや植え込みが、住む人の美意識を物語るようです。

人力車もたくさん走っていました。
こんなふうやったかしら、久しぶりすぎて記憶がないわと笑う義母。

趣のある看板や趣向を凝らした窓辺を眺めるだけでも楽しい。

雨は降ったりやんだり。
台風が直撃しなかっただけでもまだマシかもねと話していたら・・・

突然の土砂降り。
宿から大きな傘を借りてきて助かったけれど、とりあえず雨宿りすることに。

舩坂酒造店の裏手にある中庭を挟んで、カフェがあったので入ってみました。
ここでも、宿からもらったドリンクチケットを有効活用(笑)

造り酒屋の経営する和モダンなカフェ、奥は食事処になっているようです。
同じように雨宿りしに来た人が何組かいました。
それにしても、カフェ与平ってなかなか斬新なネーミング。

雨が小降りになってきたので、もう少し散策することにしました。
せっかくだからと、お店で舩坂酒造の日本酒セットを購入する夫。
ちょっといい感じの袋に入っています。

こんな雨降りで、しかも9月の平日なのに、それなりに観光客がたくさんいます。
土産物屋もそこそこ繁盛しているようで、やっぱり高山ってすごいよね~と義母と感心しきり。

さんまちの古い町並みから、宮川沿いの道へ。

ドラマや旅番組の高山ロケでよく見る赤い橋、中橋が見えてきました。
この橋を渡ると、高山陣屋前に出ます。

高山陣屋は、飛騨の国が江戸幕府の直轄地だった時代に、この地域の行政を担っていた場所です。
以前来た時に、義父が「まぁ中は見なくてええやろ、入ったふりだけしとこか」と言うので、門の前でみんなで写真だけ撮って帰ってきた記憶が(笑)
懐かしいなぁ。
義母も中は見たことがないというので、雨降りだし屋内の方がいいかと見学してみることにしました。
玄関で係員から靴と傘用の袋を受け取り、中に入ります。

縁側のようになっている箇所は北の御白洲と呼ばれ、民事事件の取調べや申し渡し、表彰などが行われた場所だそうです。
「庶民はこの下に座らされて『追って沙汰致す!』とか言われたんかね?」
「そうやろね~。中になんか入れてもらえへんのやわ。庶民はしんどいなぁ。」
と、嫁と姑のなりきり時代劇ここからスタート(笑)
奥の座敷は、地役人が勤務した御役所と御用場。
江戸時代だから当然なのですが、役所なのに畳敷きって何だか不思議です。

梁のあちこちに、こんなウサギさんがいました。
これは釘隠しで、真向兎(まむきうさぎ)という伝統的なデザインとのこと。
大きな耳で民の声をよく聞くという意味もあったようです。

休憩に使われた湯呑処。
奥にはお茶の用意をするためのお勝手があります。
「あんまり偉くない役人がさ、いや~あの上司たまらんわ~とか言ってお茶のみしとったんやね。」
「冬なんか、えらい雪降ってまって寒くてかなわんなぁって、こう囲炉裏に手かざしてな。」
と部屋ごとに続く嫁姑の勝手なドラマ仕立てに、苦笑いの夫でした。
ちなみに私は東北出身者ですが、自分と夫それぞれの実家と今住んでいる東京とで、三ヶ国語(弁)を使い分けるトリリンガルです。えっへん(笑)

陣屋は役所と役宅を兼ねていて、外から見た印象よりもかなり広いです。

江戸から赴任してきた郡代が生活していた御居間。
陣屋の畳には三種類あり、格の高い順に、柄のある縁の畳、黒縁の畳、縁なしの畳が使い分けられています。
この部屋は最上級ですね。

郡代の奥方の部屋や女中部屋などを通り過ぎ、台所の更に奥にある土間。
役宅の部分は復元ですが、整地する際に掘り出された食器の欠片なども展示されていて、江戸時代の役人の暮らしぶりを垣間見ることができます。

会議や儀式に使われた大広間。
床の間のある部分は郡代の執務室だったそうです。

南の御白洲と呼ばれる吟味所。
民事事件を扱う北の御白洲に対し、刑事事件の取調べを行う場所です。
なので、ちょっと怖い拷問用具が置かれています。

その使用例が壁に貼ってありました。
想像するだけで痛い(汗)
昔の取調べってえげつないですね・・・。

この先は、当時年貢米などを保管していた御蔵。
残念ながら撮影禁止です。
中には、古い資料や展示物がたくさんありました。

高山陣屋のような代官所・郡代役所は、幕末には全国に60箇所もあったのですが、当時の建物が残っているのはここだけなのだそうです。
義母も面白かったと満足してくれたし、入ってみてよかったです。

ところで、飛騨地方の土産物といえば「さるぼぼ」。
猿の赤ちゃんという意味で、元は子供を遊ばせるために各家庭で作られたお人形でした。
災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなどの語呂合わせで、今ではお守りや縁起物として扱われています。
顔がないのも、その時々の自分の心を反映するためという説があるそうです。
観光地のお店では、ありとあらゆるさるぼぼグッズが売られています。

オーソドックスなさるぼぼ。

酔っぱらいさるぼぼの箸置き。

ファンシー系キャラクターになったさるぼぼのお菓子。
(顔つけていいんだ・・・)

そして、ワルボボ。
もはや縁起物の域を超えているような(笑)
熊本県の大人気ゆるキャラとのコラボ商品もあったりして、今後の展開がちょっと楽しみです。
今年七回忌を迎えた義父がまだ元気だった頃、連れてきてもらって以来です。
当時はとても遠かった記憶があるけれど、高速道路が開通してずいぶん近くなった気がします。
雨混じりの天気の中、古い町並みを散策してみました。

明治から大正時代の町家が残るさんまちエリア。
飲食店や土産物屋が軒を連ねる中に、酒造店も何軒かあります。
日本酒党の夫はとりあえず全軒制覇。
運転手なので試飲できないのが残念そうでしたが。

町家の中には普通の民家も混じっています。
よく手入れされた軒先の鉢植えや植え込みが、住む人の美意識を物語るようです。

人力車もたくさん走っていました。
こんなふうやったかしら、久しぶりすぎて記憶がないわと笑う義母。

趣のある看板や趣向を凝らした窓辺を眺めるだけでも楽しい。

雨は降ったりやんだり。
台風が直撃しなかっただけでもまだマシかもねと話していたら・・・

突然の土砂降り。
宿から大きな傘を借りてきて助かったけれど、とりあえず雨宿りすることに。

舩坂酒造店の裏手にある中庭を挟んで、カフェがあったので入ってみました。
ここでも、宿からもらったドリンクチケットを有効活用(笑)

造り酒屋の経営する和モダンなカフェ、奥は食事処になっているようです。
同じように雨宿りしに来た人が何組かいました。
それにしても、カフェ与平ってなかなか斬新なネーミング。

雨が小降りになってきたので、もう少し散策することにしました。
せっかくだからと、お店で舩坂酒造の日本酒セットを購入する夫。
ちょっといい感じの袋に入っています。

こんな雨降りで、しかも9月の平日なのに、それなりに観光客がたくさんいます。
土産物屋もそこそこ繁盛しているようで、やっぱり高山ってすごいよね~と義母と感心しきり。

さんまちの古い町並みから、宮川沿いの道へ。

ドラマや旅番組の高山ロケでよく見る赤い橋、中橋が見えてきました。
この橋を渡ると、高山陣屋前に出ます。

高山陣屋は、飛騨の国が江戸幕府の直轄地だった時代に、この地域の行政を担っていた場所です。
以前来た時に、義父が「まぁ中は見なくてええやろ、入ったふりだけしとこか」と言うので、門の前でみんなで写真だけ撮って帰ってきた記憶が(笑)
懐かしいなぁ。
義母も中は見たことがないというので、雨降りだし屋内の方がいいかと見学してみることにしました。
玄関で係員から靴と傘用の袋を受け取り、中に入ります。

縁側のようになっている箇所は北の御白洲と呼ばれ、民事事件の取調べや申し渡し、表彰などが行われた場所だそうです。
「庶民はこの下に座らされて『追って沙汰致す!』とか言われたんかね?」
「そうやろね~。中になんか入れてもらえへんのやわ。庶民はしんどいなぁ。」
と、嫁と姑のなりきり時代劇ここからスタート(笑)
奥の座敷は、地役人が勤務した御役所と御用場。
江戸時代だから当然なのですが、役所なのに畳敷きって何だか不思議です。

梁のあちこちに、こんなウサギさんがいました。
これは釘隠しで、真向兎(まむきうさぎ)という伝統的なデザインとのこと。
大きな耳で民の声をよく聞くという意味もあったようです。

休憩に使われた湯呑処。
奥にはお茶の用意をするためのお勝手があります。
「あんまり偉くない役人がさ、いや~あの上司たまらんわ~とか言ってお茶のみしとったんやね。」
「冬なんか、えらい雪降ってまって寒くてかなわんなぁって、こう囲炉裏に手かざしてな。」
と部屋ごとに続く嫁姑の勝手なドラマ仕立てに、苦笑いの夫でした。
ちなみに私は東北出身者ですが、自分と夫それぞれの実家と今住んでいる東京とで、三ヶ国語(弁)を使い分けるトリリンガルです。えっへん(笑)

陣屋は役所と役宅を兼ねていて、外から見た印象よりもかなり広いです。

江戸から赴任してきた郡代が生活していた御居間。
陣屋の畳には三種類あり、格の高い順に、柄のある縁の畳、黒縁の畳、縁なしの畳が使い分けられています。
この部屋は最上級ですね。

郡代の奥方の部屋や女中部屋などを通り過ぎ、台所の更に奥にある土間。
役宅の部分は復元ですが、整地する際に掘り出された食器の欠片なども展示されていて、江戸時代の役人の暮らしぶりを垣間見ることができます。

会議や儀式に使われた大広間。
床の間のある部分は郡代の執務室だったそうです。

南の御白洲と呼ばれる吟味所。
民事事件を扱う北の御白洲に対し、刑事事件の取調べを行う場所です。
なので、ちょっと怖い拷問用具が置かれています。

その使用例が壁に貼ってありました。
想像するだけで痛い(汗)
昔の取調べってえげつないですね・・・。

この先は、当時年貢米などを保管していた御蔵。
残念ながら撮影禁止です。
中には、古い資料や展示物がたくさんありました。

高山陣屋のような代官所・郡代役所は、幕末には全国に60箇所もあったのですが、当時の建物が残っているのはここだけなのだそうです。
義母も面白かったと満足してくれたし、入ってみてよかったです。

ところで、飛騨地方の土産物といえば「さるぼぼ」。
猿の赤ちゃんという意味で、元は子供を遊ばせるために各家庭で作られたお人形でした。
災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなどの語呂合わせで、今ではお守りや縁起物として扱われています。
顔がないのも、その時々の自分の心を反映するためという説があるそうです。
観光地のお店では、ありとあらゆるさるぼぼグッズが売られています。

オーソドックスなさるぼぼ。

酔っぱらいさるぼぼの箸置き。

ファンシー系キャラクターになったさるぼぼのお菓子。
(顔つけていいんだ・・・)

そして、ワルボボ。
もはや縁起物の域を超えているような(笑)
熊本県の大人気ゆるキャラとのコラボ商品もあったりして、今後の展開がちょっと楽しみです。